みーた、ヒモになりたい

ちょっぴりノスタルジックな現役大学生の世界観

横断歩道は白い部分だけ踏んで渡るという自分ルールがあった話

ふと生み出される自分ルール。日々の生活に面白さが加わる。

小学生の頃、横断歩道を渡る時は白い部分しか踏んじゃダメみたいな遊びがあった。どうしてそんなことやり始めたのか分からないけど、横断歩道に近づいたときそうしようと決めた日から自分の生活はこの自分ルールというものに振り回されていくのだ。

 

僕が住んでいた地域には学校に行くために一か所だけ横断歩道を通る必要があって、そこには保護者が交代制で旗振りをしていた。いつものように、親に起こされいやいや朝食を取って時間ぎりぎりに家を出る。小学生は近くの家同士でそれぞれ班を作って集団登校をする文化がこの地域にはあった。全員集まったのを確認してから列を作って学校に向かって歩いてゆく。横断歩道に着いた時、急に鼓動が早くなった。昨日作った自分ルール、「横断歩道は白いところだけしか踏んではいけない」を急に思い出してしまった。横断歩道に着くまで、今の今まで何もいつもと変わらない生活だったのに、横断歩道を一歩進もうとすると、こけそうになってまでも無理して白い部分を踏もうとする。二歩目、白。三歩目、白。もし横断歩道の黒い部分を踏んでしまったら吸い込まれて消えてしまうんじゃないかと思うくらい、執着していた気がした。

学校に着いた時にはもうそんな自分ルールは覚えていなかったと思う。いつものように授業を受け、給食を食べ、掃除をする。習い事をしていたから、クラスメイトと放課後の遊びの約束をしたことは少ない。家が近い何人かの友達とつるんで教室を出て帰路につく。学校からの帰り道なんて、何もしなければ退屈なだけだ。だから、小石を蹴ってサッカーし始めたり、急に誰かにタッチして「お前が鬼ね」そこから急に鬼ごっこが始まったりする。落ちてる棒を拾って、「ぶーんぶーん」なんて言ってライトセーバーごっこをするのがはやった時期もあった。

意味のない遊びをしてけらけら笑うことが楽しかった。

信号を渡るとき、また朝のような感覚があった。どうしても「白を踏まなければいけない」と思った。けんけんぱの要領で黒を飛び越えて先頭を切るとみんなが同じように白い部分だけを踏んで渡る。そうなると自分ルールが他人にも広がって、ゲームに変わっていく。横断歩道を過ぎた後でも、その先に続いているタイルの特定の色だけを踏んで帰るとか、鬼ごっこをしている時でも「鬼はタイルの黒い部分は踏めない」とかいう意味の分からないルールが追加されたりした。
ある1つのルールが生み出され、そして新しい別のルールと混ざっていくという感覚を知った。

 

それ以来、小学生の間は「横断歩道は白い部分だけ踏んで渡る」という自分ルールが深く僕に根付いた。とはいっても普段は全然覚えていなくて、何故か横断歩道の近くになるとふと思い出すのだ。なんて便利な脳なんだろう。今思えば、もしかしたらこの自分ルールも自分が生み出したわけじゃなくて誰かに影響されてそれで始めたのかもしれない。そのあたりは全然覚えていないけど。

中学生になっても高校生になっても、横断歩道を見るとなんとなく大股で白い部分を踏んでいこうかな、なんて考える。このくらいの年になると実際に白い部分だけ踏んで渡ることはしないし、何色かに分かれているタイルの上を歩いているときも考えはすれど実際にすることはない。

年を取るというのは怖いことでもある。日が暮れて木の黒い陰が道をふさいでいたのを見たとしても、どうやって黒いところを踏まずに帰ろうかなとか、上手く通り抜けられた時のあのなんともいえない「やってやった」感とか、小さなことでもいちいち楽しんでいた小学生の頃の気持ちを思い出すことすらしなくなっていた。


大学生になって、札幌に住むことになった。冬を迎えて、生まれて初めて、家の中から積りに積もった大量の雪を見た。家を出て学校に向かう。まだ整備されていないところに積もったそのふんわりとした真っ白な雪を踏んでいくと、なんとなくだけど白い部分だけ踏んで歩いていた昔の自分を思い出した。雪で白も黒も分からない横断歩道に差し掛かった時には「大股で歩かなくてもセーフだな」なんて思った。積もった雪の中には歩いてきた自分の足跡がくっきりと残っていた。不思議な気持ちだった。

今でも自分ルールはある。「シャーペンは偶数回ノックする」、「右手を触ったら左手も同じように触る」、「湯船に浸かったら100数えるまで上がらない」。他人から見れば意味のないルールでも、気になってしまったらもうどうしようもない。勝手に自分ルールが生み出されていくのだ。別に無理してこのルールに従っているわけではない。なんとなく、そう、なんとなくだ。意味なんてない。守らない時があれば、そもそも作った自分ルールを覚えてない時もある。そのくらいのものだ。

 

「横断歩道は白い部分だけ踏んで渡る」なんてことはもうしないだろう。そんな自分ルールがあったことさえ、忘れてしまうのだろう。それでも、生まれてきた自分ルールに軽く振り回され、色々なことを知り遊び楽しんだ小学生の思い出は死なない。

札幌の雪を踏んであの時のことを思い出した様に。

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