みーた、ヒモになりたい

ちょっぴりノスタルジックな現役大学生の世界観

道民の「雪が降っても傘はささない」が腹立つという話

「雪降ってるだけなのになに傘さしてんのw」。ムカつく顔で道民感出してくる奴。

 

11月中旬、札幌では豪雪に見舞われた。直前まで暖かい日が続いただけに、雪に驚いた人は多かったと思う。朝起きてカーテンを開けて大量の雪が舞っているのを見て、静かにカーテンを閉めた。ゆっくりとベッドに戻って毛布を掛けた。7時半の目覚ましに起きれた自分自身を褒めながら、いもむしのように丸まっていく。その後起きたのは10時半。11時に研究室集合の約束があったのを思い出した。そのまま3度寝に向かった。全てを諦めた男の顔は、仏のようだった。

 

3度寝からの目覚めを迎えた時、この部屋はそれはもう言葉に表せないくらい激寒だった。家の中に居ても暖房をつけなければ凍え死ぬんじゃないかとさえ思った。ベッドから立ち上がってもう一回カーテンを開けて、豪雪が夢じゃないことを知った。絶望した。研究室は休んだ。風邪を引いたことにした。

 

何日か経って、豪雪とまでは言わないけれどそこそこの雪が降る日は続いた。「雪降ってるけど傘なんて持たないからw」。昼休みに工学部の食堂に行ったらこんな会話を聞いた。工学部の食堂には大抵、4人組のイキリオタクの典型みたいな人達が集団でご飯を食べている。何グループも。これは嘘じゃない、本当に何人もそんな人達がいる。怖い。その時は4人組の中に1人だけ声が人一倍大きい奴がいた。近くに座った自分の耳に毎回入ってくる言葉はテストの点数だったり女の人の話だったりだったが、毎回声が大きい奴が会話をリードしていた。マウントを取って悦に浸る奴はどこにでもいるのだ。そんな奴がこれを言ったのを聞いた時の自分の顔は、鬼のようだった。

 

「雪が降ってても傘はささない」。いや、させよ。そう思ってしまった。道民は降ってくるのが雨なのか雪なのかの違いでさすかささないか決めてるのか。雪を頭の上に乗せながら、服は雪でもっさりになりながら、「札幌の雪はさらさらだから大丈夫」と言う。いったい何が大丈夫なのか。さらさらの雪をはらった後の服の湿り気だったり、その時に付く、手の間に入った雪がそんなに好きじゃない。確かに、傘をさしてない時に持っているのが面倒というのは分かる。僕もずっと思っていた。でも雪が降る前、小型の折りたたみ傘を買ってから、雪の時に傘をささない選択肢は自分には絶対なかった。傘をさしても小さいから人の迷惑にならないし、使ってない時は毎回バックに入れられて、急に降る雪にも対応出来る。折りたたみ傘を発明した人は天才だ。

 

服に付く雪は出来るだけ少ない方が良いし、髪についてワックスを溶かしていく感じがどうしても苦手だ。札幌に住んでからは、バックは雪がしみこんでいかないような素材にしたり多少は考慮しているけれども、やはり一番には雪に当たりたくないという気持ちがある。

 

雪はすぐ溶けるから大丈夫。降られても大丈夫。
全く大丈夫ではないのだ。ささなくて良い、じゃない。傘をささない必要が無い。耐える必要が無いのだ。小さいころ、雪は汚いから食べてはいけないと親に教わった。それ以来雪が服に付くことが凄くいやになった覚えがある。

 

降ってくる雪を見るのは好きだ。とても綺麗で幻想的だ。手に落ちてふっと溶けて消えていく雪の儚さに感傷的になる事もある。札幌に住み始めて1年目、雪に降られ美しく輝くこの土地を見て絵画のような美しさを知り、今年で4年目となる冬、この絵画に自分を描き込むことの大変さをようやく知る。住むところではないのだ。自然は甘くない。

 

まだまだここには住んでいくつもりだ。少なくともあと2年間。
それでも自分は、傘をさし続けるだろう。

 

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